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muni art award 2022 受賞作品

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厳正なる審査の結果、8名のファイナリストの中から『muni Art Award 2022』グランプリが、石川硝様とMariana Kameta Yuzawa様の2名に決定したことをご報告申し上げます。

 

またこれにより、準グランプリは該当者なしとなりました。

 

審査員一同、皆様との面談の後、様々な面から時間をかけて審議した結果、 基本的にグランプリは1名が前提なのですが、今年はイレギュラーではありますが、2名のグランプリが決定いたしました。

​ビューワー賞

Kameta Yuzawa Mariana

  グランプリ  

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Kameta Yuzawa Mariana「The Seed, a Bead and MIB」
(ガラス、ステンレススチール、サウンド)

作品コンセプト

物質・形・自己の性質、それは多様な宇宙の性質とも言えます
ガラスは流体でも固体でもない永続的な「中間」の状態にある物質と言え、半透明で一定の流れの中で変化する性質を持ち、物事の絶え間ない進化・創造そして破壊の継続的なサイクルを暗示させます。

地球外生命体の突然の侵入、あるいは人間のDNAに出現する突然変異は、時間と空間全体に情報をもたらし伝播します。これは、データの無限のスパイラルです。集団的な幻覚のように環境に影響を与え、抽象化することができる意識を生み出します。

生命が成長する余地を作るために核を壊さなければならず、同様の方法で、私たちが存在するためには星が破裂しなければなりませんでした。私たちは全て、私達自身が宇宙であり、生命と変化の無限の可能性を秘めています。宇宙の枠組みと共鳴する美しい塵の斑点に他なりません。結局のところ、私たちは無限に小さな種、誰かがビーズ玉の袋に入れて運ぶ宇宙内のビーズかもしれません。

審査員コメント

議論を経て Yuzawa Mariana Kameta さんの 《The Seed, a Bead and MIB》 をグランプリとした。作者によると、ガラスは固体と液体の両方の性質を併せ持っていて、じつは人間の時間感覚では捉えられない速度で流れている、いわば「中間」の状態にある物質であるという。本作にはその永続的な流れがコンパクトに閉じ込められており、物質の非平衡、地球外生命体の侵入や生命の情報、砂漠に屹立する多肉植物など、その詩的なフォルムからは、巨視とミクロを往復するように複雑なイメージが得られるが、それは受賞者がメキシコシティで生まれた日系三世であり、多文化環境で育ったことが反映しているのだろう。
本人の望む表現形態はインスタレーションだったが、審査では会場の都合により、対象作はオブジェのように見えてしまっていたし、それが作品本来の強度を毀損してもいた。受賞記念展では広い空間で本作のポテンシャルが存分に発揮されることを期待する。(諏訪敦)

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Kameta Yuzawa Mariana

ユザワ・マリアナ・カメタはメキシコの日系3世。
Universidad Autónoma Metropolitana の工業デザイン学部卒業
以後、広告やマーケティング会社でデザイナーとして働きペプシコーラやスターバックスラテンアメリカなどの仕事を担当する
メキシコでは日本文化の紹介や様々な社会イノベーションプロジェクトのボランティア活動に参加
2019年日本財団の「ドリームカムトウループロジェクト」の奨学金を受け、東京藝術大学大学院で美術博士号を取得
2021年遊工房アートスペースレジデンスプログラムの「House of my emotion」展出品
2022年のサロン・デュ・プランタン賞(東京藝術大学)を受賞

石川硝

Sho Ishikawa
 

  グランプリ  

  池永康晟賞  

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石川硝「たまごと布のある静物」

(カンヴァスにテンペラ、油彩)

作品コンセプト

たまごの殻。人格を考える。
たまごは古くから身近な食材だった。割れたたまごが象徴するもの。たまごの性質、その構造。殻は身体か。私の扱う画材でもある。
対峙する。布に包まれたいくつかのたまご。割れたらこぼれてしまうもの。

審査員コメント

唯一無二のアートの発見というコンクールの性質上、コンセプトの新規性であるとかアプローチの独自性に主軸を置いてに審査すべきではあるが。
一見凡庸に見える石川硝の画を前にした時、強く心を打たれ心魂が震えた。
画風にはビュッフェの影響が色濃く散見されるが、ノスタルジーと云ふバイアスを取り除いても一連の画に共通する”佇まいの美しさ”は現代の画壇に失われた品格を放っている。
技術的未熟さ経済的理由による画面上の損失も見られるが、それを差し引いてもなお美しきこのような稀有な若者のサポートこそが、画廊の本来の仕事であらうと思い票を投じた。(池永康晟)

石川硝

1999年 神奈川県横浜市にうまれる
2018年 神奈川県立上矢部高等学校美術陶芸コース 卒業
2018年 多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻 入学
2022年 多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻 卒業

現在 神奈川県横浜市と静岡県富士市を拠点に制作をつづける。

展示・受賞歴

gallery美の舎 学生選抜展2021 一次審査通過(一次審査通過展に参加)
シェル美術賞2021  入選
多摩美術大学卒業制作展 優秀作品

多摩美術大学芸術祭2019 グループ展「キスしていいかな」
多摩美術大学芸術祭2021 グループ展「おおきいとちいさい」、「わたしたちの脈々」
サブウェイギャラリーM 「上矢部展」
3331 ART FAIR 2021  五美術大学交流から出品
多摩美術大学チャリティビエンナーレ2021に出品
3331 Arts Chiyoda メインギャラリー 五美術大学交流展「今共」

 

北島輝一賞

近藤亜美
Ami Kondo

  ファイナリスト  
 
土方明司賞  

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近藤亜美「雪だるま」
(キャンバス、油彩)

作品コンセプト

この作品では、◯△□の3つの形を意識し画面を構成しています。日常の中で目にした物の配置や点在する色の「特定の形による重なり」に興味がありました。絵画は、何かを描くことで「物語」が立ち上がり、描かれたモチーフは「物語」により日常(外側)の意識から離れていきます。形(◯△□)の配置や整頓(「特定の形による重なり」)は私自身(内側)の意識と行為であり、画面の中(「物語」)と画面の表面(モチーフの配置や整頓)を往来することで、日常と非日常の狭間を象ることができるのではないかと考え制作しました。

審査員コメント

最初はあまり気にならなかった。ただ、何回か見ている内に、不思議な作品世界に引き込まれた。まず色彩の使い方に才能を感じた。加えて、フォルムの表現も独自性を感じる。特に樹木の表現に奇妙なシュールさが漂う。作者は、「日常と非日常の挟間」を見つたいとする。その課題に絵が応えている。ただ残念なことに、肝心の雪だるまの表現が今一つ。もっと効果的に描けたら、より一層奥深い不思議な世界を生み出せたと思う。(土方明司)

御手洗翅颺
Shiyo Mitarai

  ファイナリスト  
 
高島匡夫賞  

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御手洗翅颺「坩堝」
(透明水彩絵の具、アクリル絵の具、岩絵の具、西洋顔料、水彩紙、パネル)

作品コンセプト

「装飾的画面構成」をテーマに制作をしており装飾的な描写で平面とは何かに迫っている。
どこまでが一つの生命体なのかわからない金魚達が複雑な造形を為すことで画面を構成している。画面の大部分を占める金魚らしき有機体と画面左下から伸びている水草を連想させる有機体は金魚の一部なのかそれとも風景の一部なのか。
平面的な描写と量感的な描写、薄塗りと厚塗りなど異なる表現を取り入れるように心がけている。


審査員コメント

毎回、作品を選ぶ時の基準は誰でもない個性を持っている作品、その作品を見ればそのアーティストととすぐ分かる個性を持っているかです。
今回、2次審査の作品を一通り見た時に、 御手洗さんの作品にその個性を感じました。レースを纏ったランチュウや流金や水泡眼の金魚の一群、その圧倒的な追力と技術力に感心して審査員賞に選ばせてもらいました。
ポートフォリオを拝見すると人物が描かれている群像の作品などは、少し詰め込み感があり、今回の作品により応募されたのが良かったと思われます。
個人的には現在、銀座三越で開催されているアートアクエリアムの金魚アートの展覧会に協力させて頂いておりますので、タイムリーな作品でした。(高島匡夫)

SAKAMOTO
ENTERTAINMENT


  ファイナリスト  

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SAKAMOTO  ENTERTAINMENT
「Orange_Peel_Piece#077×#041」
(ミクストメディア)

作品コンセプト

オレンジは私の記憶に残る場面で何度も出てきて印象に残っている。
幼い頃、曽祖母はみかんが大好物だった。亡くなった時、天国でもみかんが食べれるように
棺の中にみかんをたくさん入れた。火葬後、色鮮やかだった物は、全て無彩色の灰と骨になり、
顔の周りに置いた、みかんの灰だけが綺麗なボルドー色をしており、死してもなお、オレンジ色は私たちに色を与えてくれるのだなと思った。
オレンジの皮を革に仕立てるflavedo. という作品を完成させた。
何百というオレンジの皮を乾燥させた時、オレンジの皮を展開した形状がとても魅力的な表情をしていることに気づいた。
また知り合いにオレンジを配って皮だけをもらった時、様々な剥き方に個性を感じた。
オレンジを平らく展開したものを、100個トレースをし、2種類のトレースを噛み合わせ構成した。10000個の構成から魅力的なものを選抜して制作した。

翁素曼
Soman Ou

  ファイナリスト  

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翁素曼「物語はいつも、人目につかない片隅で起きている」
(木、綿糸、顔料、陶等)

作品コンセプト

物語の舞台は夢の中。 誰も見ることができず、実在する「私」は、目が覚めたら思い出せないことが多い。 断片の重なりは、幼い頃の記憶と大人になってからの出会いがぶつかり合った結果なのだろう。且つ仏教では、六道輪廻の教えによれば、夢に現れるのは前世の記憶かもしれないだろう。無時間、無秩序的な物語は、人間が無意識の状態で合理的に起きている。集めた古材を使って、他人の物語と自分の物語を絡めて、夢を復元したという。

エルハラール美和
Miwa Elharar
  ファイナリスト  

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エルハラール美和「GOLDEN UTOPIA」
​(キャンバスにアクリル絵の具)

作品コンセプト

本作は身の回りの親密な事物から着想を得て自らをカリスマティックな聖像として描き上げた作品です。
画面に挑発的な呪力を孕みつつ、甘くてうっとりするような世界観を表現しています。
さらに、「理性と野 生」の矛盾的な存在を意識して、共生、調和、融合の世界を探求しています。

Menö

  ファイナリスト  

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Menö「在,Morph52Hz」
​(パネルにペン、ダーマトグラフ、鉛筆、ジェッソ、アクリル絵具)

作品コンセプト

むかし、水銀を飲んで不老不死になろうとした人々が多く存在していたそうです。彼らは永遠に生きて何がしたかったのでしょうか。或いは、もう何もしたくなかったのでしょうか。とにかく生き続けることこそが最も美しく、正しい道だったのかもしれません。現代を生きる我々は、自分が必ず死ぬことを知っています。知っています…知っているのに、情報の集合体として変容し続けながら、毎日を生きています。蓄積に蓄積を重ねて死んでいく人間の存在自体が、有限的なアーカイブのように感じられます。今回は、アーカイブとして絶えず変身を繰り返す人間のプロセスを絵に描きました。古代中国の地理書『山海経』や馬王堆漢墓(まおうたいかんぼ)、ヴァーツラフ・ニジンスキーの跳躍を記録した写真、ドラァグクイーンのディヴァインなど、メタモルフォーゼの点において強く影響を受けた各要素を画面の中に織り交ぜています。現実に存在する肉体は横軸をひとりぼっちで駆け回ることしかできませんが、先人たちが残した物質的記録や表現に触れることで縦軸を闊達に往来することができます。私にとって、これがラブの根源です。

石川愛梨
Airi Ishikawa

  諏訪敦賞  

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石川愛梨「(it’s a fib that there are) fluffy pictures.」

​(デジタルフォトフレーム)

作品コンセプト

有機的な毛並みが、イメージの邪魔をする。かつて写真・・・?だった矩形の範疇を飛び出す。

没入して鑑賞できるよう、無いことにするための選ばれ方をしてきたメディウムに、厚みと動物のような存在感を持たせる。これはイメージをリテラルに存在させるためのひとつの方法だ。

同時に、こんなにもリテラルに写真を存在させられている!と思える事象がデジタル上で起こっている(=さわれない)ということ。我々がさわれるのはディスプレイだけ。

さわれないからこそ惹かれる。特段高くない解像度、小さくてちゃちなディスプレイ。毛の生えた写真が、可能な限りここに存在しないことを願って。

審査員コメント

個人賞は石川愛梨さんの「(it’s a fib that there are) fluffy pictures.」とした。第二次審査に残り、目にすることのできた応募作品の中で、彼女の作品だけが自己言及的な問いを含んでいたように感じたからだ。
「これは写真なのか」「写真とは何か」
コンペの場ではいかにも不利にみえる小さなデジタルフォトフレーム。その中には、3DCGデータとして毛皮のような支持体に虚な像が浮かび、まるで観客の歩み寄りを拒絶するようにうようよと蠢く。矩形は解け、絵画の筆勢のように周囲を溶かし込んでいた。(諏訪敦)

葛西明子
Akiko Kasai

  田中千秋賞  

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葛西明子「夜間遊園地」

​(油彩、パネルにミュー・グラウンド)

作品コンセプト

フラッシュダンスは遊園地にある高速回転するレトロな遊具だ。多分映画から拝借したと思われる名前と派手な電飾、アメリカ文化への憧れとも取れるこの遊具が私は子供の頃から好きだった。
夜の世界を描く時、私はノスタルジーを描いている。卵巣がんになり自分の人生を振り返った時幸福な時間を思い出す。実際には辛い事ばかりで現在も辛いのに。山に囲まれたこの遊園地、フラッシュダンスの電飾は私の幸せの象徴なのだ。

審査員コメント

人の心の中にある「夜」は、人工の光によってそれが意識される。そのことが人が不在の光景で際立ってくる。
葛西は北海道在住。山を背景とした遊園地や道路の情景は彼女の記憶の中にあるという。幻想と孤独がないまぜになったような表現には人の心を動かす力があると感じた。
今回最終選考からは漏れたが、世に出る機会をつないでおくべきと考えた。作家は、表現を何年でも続けていくことが今後大事なことになる。心の力は確信に代わり、人は彼女に気がつくだろう。(田中千秋)

高橋綾
Aya Takahashi

  小暮ともこ賞  

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高橋綾「黄銅象嵌色石彩鏡」

​(真鍮 銀 四分一 色石)

作品コンセプト

瑪瑙と銅鏡をモチーフに、現代を象徴する鏡として制作した。石は何か我々の核のようなものを、瑪瑙の線はそれらの繋がりを表している。今を生きる人々は中心といえるような確固たる何かを失い、混沌の中で生きている。信じたいものを信じ、見たいものだけを見て閉塞的になっていく。まるで関わりを絶とうとするようだが、根底では関わり合わざるを得ないことを表現した。銅鏡は、作られた時代の世界観や価値観を表す。そこには中心と、天と大地がある。この作品では、中心も上下左右も無くした。私の思う、現代を表現する鏡である。

審査員コメント

女は宝石に弱いと思われそうですが、初見で彼女がやろうとしている事が理解できたような気がしました。
銅鏡を着眼点として、その円形のフォルムを損なわないアールデコ調の象嵌細工、さらに中世を思わせる
真鍮の覆輪留めによる宝石を散りばめた「黄銅象嵌色石彩鏡」には、機を織るような、歌を詠むような夢があり、
彼女の根本にあるセンスの良さを感じ取りました。もっと技術を磨いて頂き、今後の作品に注目したいです。(小暮ともこ)

和田宙土
Hiroto Wada

  井浦歳和賞  

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和田宙土「現前#3「骸」」
​(絹本彩色、胡粉、水干、墨、顔料)

作品コンセプト

“縺れ”をテーマに現代日本画を制作している。水中に落ちたインク模様が人間の形に見えた瞬間をモチーフにした。基本的な絹本彩色という現代では新しい古典的な技法を採用した。
“縺れ”すなわち「あれであり、これである」「それ以外であり、それそのも」の姿(まさに人間)を客観的に表現すること、そこに私の作品制作が立脚している。この肖像画は、人間のあらゆる混沌とした対立の在り方に対する問いかけと受容である。

​審査員コメント

紙本.絹本彩色という従来の日本画技法を用いて水の中を漂うインクを描写し、煙の様に消えるイメージに同調する様に顔をそれぞれの作品に配し強度と鑑賞者の目を引き込む新しいイメージの作品を生み出している。作家の日本画での挑戦と未来を感じました。(井浦歳和)

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